臆病と冷静の隙間

日々のことを思いついたときに書き留めています

結婚

今日婚姻届を提出した。胸中には実に様々な感情が渦巻いている。割合で言うと、寂しさ6割、嬉しさ2割、不安2割。

寂しさの正体は、自分が変わることの不安と、表裏一体だと思う。今回いろいろを考慮した結果、夫の氏を名乗ることになった。私は今日から、違う名前を名乗って生きていく。

元来、私は変わっていくことを恐れる性質があると思う。住所が変わる時にも泣いて、卒業する時にも泣いて、姉の転職もあんまり乗り気じゃなかった。今の平穏が続くことの、何がそんなにいけないのだろうと思っていた。

でも、変化しなければ平穏が続くわけではない。その事もよくわかってる。仕事や学業、ひいては人生に不満があれば、改善したいと行動する方が、健全で、平穏だ。それでも、心のどこかに「変わることは過去を切り捨てること」という考えがある。あるいは、「過去を切り捨てないと、変われない」とも。


婚姻届を提出する直前に、夫が運転する車の中で「サヨナラの意味」が流れていた。乃木坂46の伝説、橋本奈々未が卒業する際の曲で、私はこの曲をきっかけに乃木坂を好きになった。「サヨナラに強くなれ」という言葉は、私にとって至言だと思う。私はサヨナラに弱い、弱すぎる。思い出を振り切ることができないので、写真ひとつも全く捨てられず、人からもらったプレゼントも、使いもしないでとっておくこともある。その度頭の中に「サヨナラの意味」が流れる。走り出せと命じるでもなく、変われと説教されるでもなく、「サヨナラに強くなれ」と言う。サヨナラに強いとはどういうことだろう、過去を振り返らずに突き進むことだろうか、時には見捨てる強さももち、自分らしさを優先することだろうか。

どんなサヨナラもものともせず、感情を乱さずにいることは必ずしも「強くなる」ことではないだろうと思う。受け止めることが最も難しい。サヨナラするんだぞ、と固く受け止めること。そうしてはじめて区切りがついて、次の一歩に繋がるのだろうと、今ではぼんやり思う。それでもやっぱり寂しいものは寂しい。私は名字とサヨナラした。でも別に、家族とサヨナラした訳ではない。不思議なもので、心の底から憎んで、眠れない夜を何度も過ごしたのに、結局のところ家族が大好きでしょうがない。好きとか嫌いとか、ひとつに決められるほど、私の心は強くない。好きの気持ちとサヨナラすることも、嫌いの気持ちとサヨナラすることも、やっぱり私にとっては難しい。

そしてとっても、寂しい。寂しい気持ちと向き合おうとするあまり、今のことに向き合うのも、忘れてはならない。日々を摘むことがこんなに難しいものか。今を生きるためには、私はサヨナラに強くならないとなぁ。

婚姻届を提出して、今一番良かったのは、同居する愛する人の名前に「夫」というわかりやすい代名詞が当てられたことだ。呼びやすい。

少しづつ、何かの折に触れ、結婚の実感が湧くんだろうと思うが、何よりも私はこれから始まる手続き地獄が怖い。通帳、クレジットカード、Amazon楽天……みんなが手を振っている。こんにちは、明日から、頑張りますので、今日はお酒飲んで寝ます。